2011年8月28日日曜日

嵯峨野トロッコ

さて、昨日の夜行での東京行きは、直後の体調の不具合もあったので、行きに近鉄特急アーバンライナーで移動となりました。青春18きっぷ使っておいてアーバンライナーってもったいない気がするけれど、確実に座っていけるほうが体に負担がかからないと判断したからでした。
まぁ、鉄道趣味的にはちょっとご法度な青春18きっぷの使い方なんでしょうけど・・・。

さて、翌日の今日は新大阪→京都→嵯峨嵐山とJRで移動。
目的はトロッコ。
実は「嵯峨野トロッコ列車」はまだ未踏の線区。幸いにも昨日の関西の豪雨とはうってかわって今日は晴天だったため、トロッコ乗車に最適でした・・・!
まず、トロッコ嵯峨駅から・・・と言いたかったのですが、窓側の席が取れなかったのと、時間が余りまくったため、トロッコ亀岡駅からのチケットを購入。再び、JR嵯峨野線に乗り、今度は各駅停車しか停まらない馬堀駅へと移動しました。


トロッコ亀岡駅へは馬堀駅から歩いて10分ほど。足の早い人ならもう少し早くいけると思います。トロッコ亀岡駅は山小屋のような雰囲気の駅舎。


トロッコ亀岡駅前には馬が引く馬車があります。んーのどかですね。


さて待つこと30分ほど、ようやくトロッコ列車がやってきました。写真はその車内。
ウッド調が目に優しい雰囲気・・・!
乗っていると自然の風がとても心地よかったです・・・


途中、保津川の川下りの船と併走します。
船に乗ったお客さんは私たちが乗っているトロッコに向けて手を振ってくれました。


そして、25分ほどかけてトロッコ嵯峨駅へと戻ってきました。
けん引機関車は、DE10ディーゼル機関車です。幹線向けのDD51ディーゼル機関車と違い、支線区の貨客列車牽引や入換用途を主な目的として製造されたディーゼル機関車です。

トロッコ乗車後は、トロッコ嵯峨駅に併設された、「19世紀ホール」と「鉄道ジオラマ」を見学しました。
そちらは、写真のみアップしておきます。

嵯峨野トロッコ・19世紀ホール&鉄道ジオラマ

2011年8月24日水曜日

JR東海、秋の臨時列車発表

夏もそろそろ終わりの時期。
さて、秋の臨時列車の発表がJR東海からありました。

2011.08.24“秋”の臨時列車のお知らせ
http://jr-central.co.jp/news/release/nws000830.html
在来線に焦点を当てると、
トレイン117の運行や、紀勢線での臨時快速の運転、中央線、飯田線で臨時急行の運転が行われます。
秋の行楽に電車を使って旅するのもいいかもしれませんね・・・!

2011年8月22日月曜日

「大トリックアート展・・・!?」


ちびまる子ちゃん展を見に行った後は、名鉄百貨店へ移動して、「大トリックアート展」を見に行きました。

通常、こういったアート展は著作権上の関係で撮影禁止なところが多いのですが、むしろこちらは撮影OK。
しかし、おもしろいことに肉眼で見るのと、写真で写すのは違うことがわかりました。
特にカメラは角度によって立体に見えるように写すのは難しいですので・・・






なお、この催し物は今月30日まで開かれています。
楽しみながらのアートですね・・・!

ちびまる子ちゃん展最終日

今日は夕方(といっても、16時前)、ジェイアール名古屋タカシマヤに行き、「ちびまる子ちゃん展」を見に行ってきました。最終日なので、17時までです。

25周年ということで、今までの原作画とか、懐かしのテレビ映像がありました。
まぁ、著作権上の問題もあるので会場内は撮影はできませんが、唯一、撮影できるコーナーがあったので、それを載せておきます。


そうそう、テレビアニメ放送開始が1990年で、まるちゃんたちは小学校3年生の設定なんですね。
でこの1990年、自分も小学校3年生でした。それから中学生くらいまで見てましたが、気がついたら・・・な年齢になってしまいました(笑)。今では親子二代にわたってちびまる子ちゃんを見ている方も多いのでは・・・と思います。
でも、気づいたのですが、アニメ放送開始時と今とちびまる子ちゃんのキャラクターの顔が違うんですね。
それと、オープニングの曲が今は「おどるポンポコリン」になってますが、1990年当初はエンディングの曲だったのですね、ちなみに当初のオープニングの曲は、関ゆみ子さんの「ゆめいっぱい」という、元気になれるさわやかな感じの曲でした。

でも、今や国民的アニメになっていて、中日新聞にも四コマ漫画として掲載されているんですよね。
新幹線のぞみ号も通過してしまう静岡県ですが、静岡市(特に旧清水市付近)を通ると、なぜかちびまる子ちゃんを思い出すわたくしでした・・・!

2011年8月13日土曜日

東山動植物園・ナイトZOO@植物園


名古屋のベイエリアの次は、一気に山手まで移動します。
来たのは東山動植物園
しかし、今回の目的は植物園エリア。
「なんでナイトZOOっていうくらいなのに植物園?」って感じですが、今年から植物園エリアもナイトZOO開放対象となったからです。


そして、今回、個人的に注目しているのは、「美濃和紙あかりアート」。
日本に古くからある和の美ですね。




名古屋港水族館に行く


名古屋海洋博物館の次は、名古屋港水族館です。
夏休みですね、親子連れやカップルでにぎわってます(*^^*)


まず目を引くのは、やはりイルカでしょうか。
北館ですが、こちらは南館よりもあとに建てられた場所。
北館に入るのは実は初めてです。
なお、イルカの泳ぐ動画はこちらをどうぞ


さて、少し端折りますが、南館へとやってきました。こちらは日本近海の大水槽。
いわしの群れと、サメとマグロ、カツオが一緒に泳いでいます。
ちなみに飼育員のお姉さんのお話によると、まれにいわしがサメやマグロに食べられることもあるようです。
というより、食物連鎖の観点からいうと、当然の話になりますが、これを見て「うまそうなカツオやマグロ」と思うのは人間が実際にそれらを食べているからですね。
食べることに感謝しよう&自然を大切にしようという部分の教育は水族館や動物園では大きな役割を果たしていることになります。


さて、名古屋港水族館といえば、人によってはカメを連想される方も少なくないかと思います。
私もその一人ですが、同水族館では、アカウミガメを飼育、放流しカメの生態調査をしています。
久しぶりの名古屋港水族館、楽しかったです♪

名古屋港ポートビル&海洋博物館を見学


お盆休みの方も多いかと思います。
今日は、名古屋港まで行ってきました。


まずは、名古屋港ポートビル展望台へと入りました。ここから名古屋港を一望できます。
目の前に見えるのは名港トリトン(伊勢湾岸自動車道・名港中央大橋)です。
その向こうには知多火力発電所近くに天然ガスを運搬するLNG船が停泊しています。


ここはどこでしょう。そう、名古屋港イタリア村跡地です。2005年の愛・地球博とほぼ同時にオープンしたのですが、いろいろあって2008年に閉鎖されてしまいました。


次は同じビル内にある「名古屋海洋博物館」に入ります。
ここは名古屋港の歴史や、港が産業貿易港であることを知ることができます。
名古屋港はもともと、遠浅で大型の船舶が入船することはできませんでした。なので浚渫(しゅんせつ)によって発展してきた港であることがわかります。
ちなみに、名古屋港の浚渫土は中部国際空港(セントレア)にも使用されています。
今、ボーイング787の機体が名古屋港からセントレアへ船便で輸送されていますが、ある意味、名古屋港とセントレアは一心同体ではないでしょうか。


これが名古屋港の全景を表した模型です。名港トリトンが目を引きます。


一方で防災面についても考えるコーナーがあります。ここは1959年(昭和34年)9月26日に伊勢湾台風が来襲、壊滅的な被害を受けた地域です。
近年では、1995年1月17日の阪神・淡路大震災の教訓を踏まえ、耐震についても対策を講じられようとしていますが、今年の3月11日の東日本大震災の津波の甚大な被害を考えると、さらに津波に対する防災&減災について考える時期に来ていると思います。


これがその伊勢湾台風後の名古屋港周辺の被害を再現した模型です。
両親から話でしか聞いていませんが、死者・行方不明者も相当数出た甚大な被害です。
線路や家屋がなぎ倒され、津波とは流され方が違いますが、沿岸部に近い愛知や三重ではこういった被害が50年ほど前に実際に起こったわけです。
これは忘れてはいけない災害の一つ・・・だということです。


さて、7月16日(土)~9月4日(日)に企画展「名古屋港の漁法」~名古屋港最後の職漁師 犬飼一夫氏の漁法模型展~が開催されています。


こちらも話でしか知らない世界。名古屋港は貿易港として発展してきましたが、その代償ともいうべきか、かつて盛んだった漁業が衰退していった背景もあります。
今回は漁業が盛んだった頃の名古屋港を模型で復元するという企画が催されていました。
そう、蟹江や飛島、木曽岬の海に面した場所はかつて漁が盛んだったと聞きます。
衰退は工業地帯の発展と、あとは伊勢湾台風が大きいようです。
なお、下之一色(名古屋市中川区)はその名残をかすかに残している地区です。

2011年8月8日月曜日

「よみがえる総天然色の列車たち 第2章6 名鉄篇 」を見た感想


株式会社動輪堂さんから7月21日に発売されたばかりのDVD「よみがえる総天然色の列車たち 第2章6 名鉄篇」をインターネットにて購入しました。
撮影されたのは、奥井宗夫さんという三重県松阪市に在住の方で、8ミリのカラー撮影がまだ名鉄が非冷房車or吊り掛けが主力だった時代を思い出させてくれます。
・・・と私がこう書くのは、この映像が撮影されたのは昭和37年〜昭和60年となっていますが、言うまでもなく7000系パノラマカーに関してはつい最近まで走っていたのはご存知の方が多いと思いますが、私が5~6歳頃の時、まだ850系「なまず」が名古屋本線や犬山線の普通電車で走っていたり、3400系いもむしがスカーレット一色の4連で運転されていたり、また、先代の3700系、3730系などのHL車が本線系統でバリバリ走っていたことをつい最近のように思い出されます。金山橋のいう名前も懐かしい。
そうそう、こぼれ話ですが、当時、非冷房車が夏場に来ると子どもだったのでガッカリしたことを思い出しました。
今だったらなんと贅沢(?)な話かもしれませんが、当時、新性能の6000系列や、5300系&5700系などに乗る人たちをうらやましく思ったわけです。まだ特急車も8800系パノラマDXや7000系パノラマカー(白帯車)が主流で、ようやくデッキ&トイレ付の1000系パノラマSuperが出てきた・・・という昭和末期のお話。

まぁ、賛否両論あるかもしれませんが、いまやVVVF制御の3500系からなる3000系列、特急車も2005年の中部国際空港(セントレア)開業を皮切りにデビューした、2000系ミュースカイ、2200系一部特別車特急車の登場を見ると、名鉄の車両の性能や快適さはアップしてきています。
古いもの、新しいものどちらもその特徴や良さはありますし、先の話をしたら笑われるかもしれませんが、今走っている電車もいつか引退する日がくるわけですので・・・。
なので、いまのうちに記録したり、乗車できるものはしておいたほうがよいかなと。
今はデジタル機器が安価に手に入るようになったし、昔に比べたら記録も簡単にできるようになったと思います。

ただ、個人的な意見になりますが、岐阜の600V線(岐阜市内線路面区間、揖斐線、美濃町線等・・・)はやはり残してほしかった・・・と廃線となったことが悔やまれます。

2011年8月6日土曜日

須成祭・宵祭(愛知県蟹江町)


お祭り日記が続いていますが、今日は蟹江町の須成祭の日。
小さい頃から見慣れているお祭りですが、この夕方のショットを撮るのは初めてです。


さてさて、提灯船こと、巻藁船ですが、愛知県の尾張地区の一部の地域で見られる光景。
津島の尾張津島天王祭、名古屋の熱田まつりなどが有名ですが、いずれも天王信仰と深い関わりがあるそうですが、地理的にいうと川や海といった水と関係あるといったところでしょうか。
今は鉄道や道路ができ、木曽三川の大河や伊勢湾にも大きな橋が架かるようになり、今の日本の輸送の主力は陸路になりましたが、かつては船便が主な輸送手段だったという名残を祭りから感じ取ることができます。


という感じで、今年も祭りは終わりました。
なお、この須成祭の会場である、龍照院という寺院の隣には、毎年、名古屋場所の際に高砂部屋が宿舎として使っており、力士の方々が来られると夏が来て、須成祭が終わると、「夏も折り返し・・・」と自分の中ではそう感じています。
「提灯を点灯した巻藁船」は、愛知県尾張地区の水郷地帯の夏の風物詩であり、私にとってはふるさとの季節の風景の一つです。
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