2019年6月29日土曜日

名古屋急行電鉄座談会に参加

本日は伏見城研究会さんによる、「名古屋急行電鉄座談会」が行われるため、夕方より参加してきました。

まず、なんといっても社名にある通り、大阪から名古屋を目指している、しかもなるべく速く結ぶ目的もあったように感じます。ルートも滋賀、三重、愛知を割りと真っ直ぐに通り、極めつけは鈴鹿の山を長大トンネル(約8km。現在の道路の石榑トンネルの約2倍)で石榑トンネルで貫き、そのまま揖斐、長良、木曽の3河川を橋で渡り、現在の金山付近まで出るという壮大なプランのようでした。

結果的に当時の時代の背景もあり、この路線は陽の目を見ることはなかったのですが、歴史に「もし」は禁句ですが、もし、名古屋急行電鉄が完成していたら、我が家から最も近い「北蟹江駅(仮称)」が歩いて5分くらいの場所にあり、もっと京都や大阪に出やすかったかもしれませんし、それこそ、あま市南部や蟹江町北部が今よりも発展していたかもしれません。

また、当時の資料もそんなに残っていないようで、調べられた方も京阪や阪急の社史、公文書等から拾っていく結構ホネの折れる調査なのもわかりました。
ただ、調査は調査として、結果的には近鉄が名古屋、奈良、大阪、伊勢志摩・・・とネットワークを広げていったのが正解だったのかもしれません。

そんなことを考えながら、近鉄電車で桃山御陵前から急行と普通を乗り継ぎ、大和八木から乗り慣れた、名古屋行きの最終特急で車内で思い更けるひとときでした。
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