そんな話を昨日、母から尋ねられました。およそ、30分くらいしゃべったかな。
ま、簡単に言うと、会議や話し合いを行う際、円滑になるようにしていく影からの力持ち、つまりは交通整理人みたいなもの?って答えておきました。
今、NPOをはじめ、地域自治体や企業などでも盛んに取り入れられています。
さて、みなさんはNHKの大河ドラマ「龍馬伝」を見ていますか・・・?
私は毎週見ています。実はこのファシリテーター、日本人初はあの「坂本龍馬(以下、龍馬)」だったそう。
参照:ファシリテーション - Wikipedia
確かに昨日の回の龍馬の行動を見ていて思ったのは、龍馬は土佐出身でありながらも脱藩者。その一方で幕末の日本国内では、薩摩藩と長州藩が対立している。その中、龍馬は薩長両方の見方をするのではなく、「あくまで(当時の)日本の敵は外国、日本人同士で対立している場合ではない!」と説いていたわけです。つまり、お互いの利害関係をうまく調整しながら、薩長を敵対させることなく、同盟を結ぶことができた、これぞ龍馬の人としての力が見えてくるのではないでしょうか。
少し話は逸れますが、このあと龍馬は何者かによって京都の近江屋にて中岡慎太郎と共に暗殺されます。
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」では、この龍馬の暗殺で幕引きがされています。その後、多くの人に龍馬の遺志が受け継がれた・・・とあいまいに書かれており、日本人の多くがこの「竜馬がゆく」の坂本龍馬のイメージが強いのではないでしょうか?
実際、小・中学生向けの坂本龍馬に関する伝記も司馬遼太郎の作品にそって書かれたものがほとんどでした。
では、今回の大河ドラマ「龍馬伝」では、のちに大企業へと発展する、三菱グループをたちあげた「岩崎弥太郎(以下、弥太郎)」の目から見た坂本龍馬という設定で描かれています。まだドラマではそこまでは行っていませんが、この後、龍馬は海軍操練所のメンバーと一緒に海援隊を立ち上げます。そこへ弥太郎が経理担当として赴任してきます。
そして、龍馬暗殺後、弥太郎は奮起し、龍馬の遺志を継ぎ、大阪にて海運業を行う大阪商会を設立、さらには九十九(つくも)商会と名称を変え、そして、その後「三菱商会」となお変え、本社を大阪から東京へと移転させた・・・ということです。その後、弥太郎は次々と海運業で会社を大きくし、世界の名だたる船会社と競争を繰り広げ、三菱を前へ前へと押し進んでいきます。そんな会社が大きくなっていく行く中、弥太郎は胃がんとなり、志半ばでこの世を去り、弟の岩崎弥之助、息子の久弥、甥の小弥太にその意思が引き継がれました。余談ですが、日本で初めてボーナスを支給したのがこの三菱で、複式簿記も同様、三菱が日本で初めて導入されたといわれています。
戦後、GHQによる財閥解体が行われた後、今の三菱重工業や三菱自動車、日本郵船、キリンビールなどの三菱グループへとなって行くわけですが、龍馬が「船で世界を周りたい」という構想は、実は弥太郎が実現させたのでは・・・と言われています。
まさに龍馬伝は、三菱の成り立ちや近代日本を調べるきっかけになるのでは・・・?と思います。
実は、私の祖父と両親が共に三菱グループの企業に勤めていた関係で、創設者の弥太郎の存在は知っていたのですが、
しかし、この龍馬伝が始まるまで、坂本龍馬と岩崎弥太郎の関係なんて知りませんでした。