夜は地下鉄と市バスを乗り継いで、名古屋市中川区にある、中川運河までやってきました。
ここに来た理由は、 「中川運河キャナルアート」といって、中川運河の活性化を目的とした、水辺の空間を彩るイベントが昨日8日と本日9日の2日間にわたって行われていました。
中川運河といえば、名古屋の産業史の上ではかかせない、水運の要でしたが、戦後、陸運にバトンタッチし、以後、水運としての役割よりも水質が悪化してドブ川状態になってしまい、なかなかスポットライトがあたることなく、長い間放置(?)されぎみの場所でしたが、近年、中川運河を見直す動きが出てきました。
その一環として、今回のキャナルアートなのですが、ふだんあの無機質な倉庫街がこれほどにデジタル掛け軸で一変するような雰囲気になるとは・・・
違う場所からも撮影してみました。
結構手ブレがあって、実は何度も撮影しなおしています・・・(汗)。
ちなみに12年前に亡くなった母方の祖母が生まれ育った場所は本当にこの撮影した場所と目と鼻の先。
戦前からこんな倉庫街だったようで、決して洒落た街ではなく、地味な雰囲気だったようです。
太平洋戦争が激化した時、名古屋も空襲に遭って戦火で住んでいた家を失い、命からがら逃げその後、海部郡の佐織町(現在の愛西市)へ引っ越したそうです。
12年前の亡くなる一ヶ月前、祖父も置いて一人で名鉄電車に乗り、ナゴヤ球場前駅(現在の山王駅)で降り、祖母自ら歩いて思い出すように見に行ってきたそうです。
ばあちゃん、生きてたらこれを見てなんていうかな・・・?
今の中川運河はこんな風になっているよ。