100年後の「大名古屋」 大胆予想あった
http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2010092402000002.html
ここには、都心は「高層建築の櫛比(しっぴ)せる(ずらりと並ぶ)商業ビル街」で、伊勢湾には「大国際エアポート」があるとした・・・(以下、略)とあるわけですが、これらは今でいう、名古屋駅前にあるセントラルタワーズやミッドランドスクエア、そして、中部国際空港を連想されるもののようです。
もはや、70年以上前にこんな構想があったわけですね。
なお、この「百年後の大名古屋」の資料、名古屋商工会議所の地下資料室から見つかったということですが、先日、私が近所の書店で見つけた本の内容と結びつけることのできる書物を見つけました。
それが田淵寿郎 (たぶち じゅろう 1890-1974)という、現在の名古屋の発展とは切っても切れない人物であり、戦後名古屋都心で計画された100m道路や市内にある墓地を山手の一箇所に集めた、平和公園計画、それから名古屋駅一極集中を緩和させるためにつくった、金山総合駅計画など、今の名古屋の発展には欠かすことのできないものばかりです。
この田淵寿郎さん、生まれは広島県だそうですが、昭和14年(1939年)名古屋土木出張所長として木曽三川の治水、今渡ダム調整などの計画に携わったそうで、戦後は上記のような大規模かつ、大胆な計画の第一人者として活躍されたそうです。
現在では、名古屋市内小中学校の道徳の授業で使用される教科書などにも登場する偉大な人物として挙げられているとのことです。
「Wikipedia田淵寿郎」から参考・引用